凪都。

なつの観察日記

2/17 夜

東京から博多までの新幹線のなか何を思い何を考えたか。

連想ゲームのように広げられる思考をできるだけ順番通りに。

〇東京の普通-

靴擦れがひどい。左足のかかとが靴擦れによって赤くなっている。痛い。絆創膏など役に立たないのだ。東京を5日間歩き続けた。一日約一万歩。歩数計を見ると金曜日は二万歩あるいている。足は疲れているし、歩きすぎだと思う。久留米は車移動だった。でも、東京は電車移動が主でひとつ乗り遅れてもすぐ次が来た。満員電車は向こうの比ではなく、でも意外と乗ることができ意外と降りることができた。同じ目的地に行くために金をとるか時間を取るか手間を取るかの三択で、安いぜと思って乗ったら乗り換えが4回だったということもあった。ひどいと思う。ひどいと思うが、これが東京の普通なのだとも思う。

人が多い分、ぶつからずに歩くことができる能力の高さと歩くスピードの速さを感じた。ぶつからずに歩くということは、周りをよく見て自分の導線をみつけることにたけている。ほぼ5日間行動を共にした上京仲間は、目的地に着くために精一杯で人を気にする余裕を持てなかったのだろう。宿泊先へ一緒に行こうと言われていたが、駅の改札で置いて行かれたのでさようならをした。上京仲間が引きずっていたキャリーケースと、長ったらしい自己紹介にわずらわしさを感じて意図的にはぐれたとも言い換えできる。

〇迷子

私はよく迷子になる。だれかと行動するとき、相手が焦っていたり複数人で会話をしていたり、私がここにいなくてもこいつは目的地に到達できるだろうと思うときに私ははぐれる。前までは、いなくてもいいだろうと思ってもできるだけついていった。私がここではぐれてしまったらこいつは私を探すだろう、はぐれた理由のひとつになっているとは思いもよらずに私を探すのだろう。本当に探すか、本当は探さないかはわからないしどうでもいいがこいつに心配される可能性があるならば一緒にいるほうが私の気が楽だと思っていた。

しかし、まぁ疲れる。一緒にいてもいなくても疲れるのであれば、すこしくらい人を雑に扱っても許されるのではないかと思って迷子になることにした。意図的な迷子だ。ぽぽやもちと一緒にいるときは迷子になろうとは思わなかった。きっと彼らに心配をかけたくないと思ったのと、またねの時間まで一緒に居たいと思ったからだ。まぁぽぽとの時は文字通りの迷子になったけれど。

〇ぽぽともち

彼らは凪都の友達だ。

もちとごはんに行った。上野でイタリアンバーのお店へ行き私はドリアを食べもちはパスタを食べた。ポテトを前に二杯ほどお酒を飲み、就活の話と頑張っている体でいるほうがいいという話をして、服屋を見に行き、眠たいから帰ると別れた。もちがどんな顔をしていたか二日前のことになるので覚えていないが、レゴシのような体格ではなく、アイコンのような髪型でもなく、スーツを着て革靴を履きネクタイをきれいに締めたひとりの就活生だった。ごはん屋に行くとネクタイをほどく人間だった。あぁそうだ、かっこいいなと思ったんだ。それと、上野に新幹線止まるんだぁと思った。あと、ミルクパン食べられなかったそうだ。なんだろう、眉がよく動く人間だなとふと思い出した。ミルクパンが食べられなかった話をしたとき、眉の形が悲しそうだった。たぶん彼は凪都のキャラづくりをになったひとりで、想像していなかった凪都がいることに驚いているようだった。例えば、私がたばこを吸うこと、希死念慮がずっとあってまだぬぐいきれていないこと。もちはよく「や、でも、いいと思うよ」と言う。ひとごとだなぁと常々思っていたけれど、それが心地いいことに気がついた。私は人のことを自分のことのように捉えてしまう、ただの考えすぎだともいえる。しかし、もちは、自分は自分、人は人、をしっかりしているように感じる。頑張っているのハードルが高い私に、「頑張っていると思っていていいと思うよ」と言った。もちに会って、人を適度に雑に扱っていいことを学んだ。自分の欲を大切にしたいと考えている私にとって雑でもいいのかという気づきは救いである。ありがとうもち。

ぽぽは鳩じゃない。兄弟と同じ年齢でほんとの迷子によくなるらしい。マイクに上がっているとき彼の声は小さい。自分がしたいことよりも人のことを少しだけ優先する私と少しにている人だ。本当はどうしたいと聞かれたら少し迷い、自分に問い、答えを出し、出した答えをするべきことと認識する人だと思う。歩くのがゆっくりで、人混みの中で自分の導線をみつけることが苦手で、たぶん人の好意に振り回されてしまうことがあるのだろう。気遣い上手で、同伴者をあまりひとりにしない人だ。コロナ明けでときおり咳をしており、咳をするかもしれないからカラオケどうしようかと言い、当日見つけられないだろうから写真を送ってくれる、そんな人だ。「私は行きたいけれどぽぽはどうしたい?」と聞いたら「行きたい」とのことだったので行った。ずっと高得点を出すし、聞きやすいし、歌うまいし、楽しかった。ただ、できないことはできないと言える人だった。関節二つ分私よりも指が長かったし細かった。しゃぶしゃぶを食べに行き、熱燗を二本飲んでいるときにたくさん話をした。もちの「がんばれ」ということばの印象が変わったこと、もともとこんな風な人間だったこと、推しのこと、池袋駅の広告がおかしかったこと、人間観察の話、記憶定着の術、ご飯が食べられないときのはなしなどを聞いてもらった。まっすぐ歩けているけれど酔っていたが、「あまり変わらないように見える」と言っていたのでたぶん醜態をさらしてはいなかっただろうと思う。ぽぽは一滴も飲んでなくて、今日のような日は飲めないことが嫌になると言っていた。寒い中でも手は暖かく、温かい人だと思った。どうせだから渡そうと思っていた小説を押し付けることに成功した。読まなくても構わない。ぽぽに渡したという事実だけあればいいやとそう思う。東京駅から新幹線に乗る前に荷物を預けたロッカーをみつけるまでに時間がかかってしまった。焦りを感じる本当の迷子になったのだ。

焦りから解放されるとき、もちも私をなつさんと呼ぶのだから、もりもりよりはなつと呼んでもらえたほうが嬉しいことを伝えた。私はぽぽと呼ぶがな。私は凪都として、もちとごはんに行きぽぽとカラオケに行き、一緒にお土産をみて、一緒に迷子になり、そしてひとりで新幹線に乗っている。前までひとりになることはすごく嫌で誰かといるとき以外にどう振舞えばいいかわからなかったが、彼らに出会い適度に雑で良いこと、人のことを考えすぎても良いことの両立が取れるようになっている。初めのつながりはSNSであるがそれでも出会えてよかったし、会おうという決断をしてよかったと思っている。

〇決断

東京で就活イベントに参加することを決めた一つの理由として、私に2/12が来なければいいと思っていたことにある。2023年末から強まった希死念慮はやはり誕生日に向けて強くなっていた。希死念慮は死にたい欲求で、なぜ死にたいかというと生まれてきたから、生まれてくることがなければ苦しむこともなく死を求めることもないだろう。という考えに基づいて21年前の誕生日が嫌いだし、生まれてきてよかったなどとは思いたくないという意地がある。いい訳ではあるが、死にたいけれど死ねなかった、来年の誕生日こそはと思うことでどうにか一年をつないできたからこそ「おめでとう」といわれることが苦しいのだ。

あぁそれで、毎年誕生日を節目に考えているから私の中で2/12には死んでいることになっていた。死を武器にするとしたくないこと以外なんでもできる。ラインの交換だって、適度な頻度の返信だって、人に会おうと思いそれを伝えることだって。もちもぽぽも「なつさんは会える人だったんだ」と言った。死にたいからなんでもできる、機会があるから会ってみたい、本当にその日が来るかわからないし、どうせ最後なのだからと思ったことは内緒だ。私は得られた情報と同価値の情報は開示するようにしている。そして、情報には価値があると思っている。情報をくれるということは信用してくれているということだし、ネット社会において知られることの恐ろしさをひしひしと感じているからだ。

もちとぽぽを好きだと思ったし、また会いたいと思ったから、喫煙者であることと出身はここだということを話した。ぽぽに関しては大学と学部学科まで伝えている。だからなんだと言われるだろうが、私にとってぽぽやもちは情報開示という行為のできる気の置けない相手だったということだ。

眠たくなってきた。次の駅が終点なのでここいらで一度〆ようと思う。ではまた。

 

追記

22時,帰宅。東京からこっちに帰ってきてもやはり靴ずれはしたままで、治らないし痛いしひどくなっていると思う。左側だけだからやはり歩き方が悪いのか、そうなのだろう。靴擦れが治りパンプスに慣れるにはどのくらいかかるのか、治ったと気がついたとき私の周りはどういう変化が起こっているのか。楽しみであるが不安でもある。

ひとまず今は明日のゼミ旅行に向けてお風呂へ行き布団に入るべきで、ガーベラの調整をして風呂へ行こうと思う。