1時である。
寝る前に書いている。
わからないことがわからない。
何事も知っていることよりもわからないことのほうが多い現状である。
わかっていることよりも、わからないことを列挙していくほうが、「これまで何を勉強してきたか」とか「なにをしていきたいか」「どんな経験をしていきたいか」がわかってくるのではないのか。と言語学ラジオを聴きながら思った。
知性というのはわからないことがわからるようになること。少し頭にとどめておこうと思う。
私はやはり、こうしていこうと口に出した瞬間にできなくなる人なのかもしれない。
完璧にしなくちゃという思いが強くあるのだが、完璧なんて一番曖昧なんだから絶対にできないんだよ。だから、口には出さず心が落ち着くまで少し離れてみようと思う。
具体的にどうするを書くとやっぱり挫けるだろうから、心の中で決めてここには書かずにいようと思う。
息を吸って吐く、もう一度深く吸って、止めて、苦しくなるまで止めて、ふかーく吐く。
自分が自棄になっているとき人はそれに気づくことは不可能に近い。演技力が高いから。弱い自分を蹴っ飛ばすために書いた言葉が、前向きになっているなつという人間に見えていいなぁと思ってもらえているのではないかと思う。弱い自分を出したところでそれは私の弱さと捉えられずにこの子は前向きだと思われることがつらい。すくなくとも今はそれがつらい。ただ、前向きだと思うのは人の意見なのだから私は何も言ってはいけないのだ。距離を取ろう。苦しいから。
私の感じ方は私だけのもので誰にも邪魔されてはいけない。
同様に、あなたの感じ方はあなただけのもので私が邪魔していい訳ではない。例え私に伝えてくれたことであっても、私は私。あなたはあなた。
意見の交換というのは、意見同士が等価交換である確率は低いのだけれど、ぶつかり合いに等しくて、いろいろ考えてしまう私にとってくるしい時がある。
だんだん眠たくなってきて、文章をまとめようとする気力がなくなってきた。
ねる。