東京3日目
体に疲れがでてきた。徒歩移動なので足がぱんぱんであとお腹がすいた。
少し前まで忘れることは酷なことだと思っていた。
深い悲しみは忘れることによって続いていくが、これまでの行いの罰として忘れてはいけないことだとそう思っていた。
だが、忘れてもいいとそう思えた。
どう頑張っても生きていくのなら時間は流れ、忘れ、お腹がすく。
私は記憶と紐づけするものが多いから忘れにくく悲しみや苦しみが長く続いていくがそれでもゆっくり確実に薄くなっている。
時間が解決するとはこういうことなのかとぼんやりと思う。
彼が心身共に無事であるかは知るすべがないためわからない。
わからないことは怖いが、無事であればいいと思いまぁいつか連絡が来るといいなと思いながらすごすことにする。